月見て君想う

溢れ出る言葉をすくうところ

2023年

7月に近所のスーパーが潰れた。歩いて10分もかからない。私が物心つく前にオープンし、20年以上小さな町の暮らしを支え続けた。広くはないけど品揃えに申し分はなかった。田舎の暗い夜、21時まで明かりを灯し続けてくれた。

閉店直後はショックが大きくて数回夢に出てきた。

小学生の頃調味料コーナーを眺めてその味を想像したこと、フルーチェやプリンを作るキットを母に買ってもらって一緒に作ったこと、ドリンクコーナーで母と間違えて別の女性に話しかけてしまったこと、遠足のお菓子を500円以内の決まりを破ることなく買ったこと、スーパーのテーマソングを覚えて家族の前で歌い上げたこと、それを褒められたこと。

 

10月に行った君島大空のライブ。彼はMCでこんなことを言っていた。「もう今はない場所、もういない人に向けて、音楽を作っている」。彼の音楽は祈りだった。寂しさの共鳴。

その言葉を聞いた時、あのスーパーを思い出した。今はもうない場所。

12月には更地になった。すっからかんになったそこを見ると、心の半分以上を埋めるものがごっそり持っていかれた気分になる。

噂では来年ローソンが建つらしい。

また私の過去が揺らぐ。

 

 

去年2022年は、今までかけられていた呪いを少しずつ、ほぼ自分の力で解いて行った先の一年だった。それは解放だった。肩の力が抜けて、本当に大切にしたいことを心のスペースに置いていって、いつでも取り出せるようにした一年だった。部屋にいて、大切なことを大切なままにしておけるように、傷つかない一年だった。自分の弱さや傷と向き合い続けた一年だった。

弱いままでいたかった、弱さを受け入れて歩いていくつもりだった。弱さを克服すると自分が自分じゃなくなる気がしていた。

2023年春、社会人になった。去年心に置いた大切なものたちを落とさないように抱えながら走った。けれども、ぼろぼろと落としていた。落とさないように工夫しようとしても壁にぶち当たり続けて、私という形すら歪みを持ってしまった。もがいて立ち止まって方向転換して。自分に言い聞かせるように何度も「大丈夫、大丈夫」と言った。

来年はもっと楽に生きれるのだろうか。

 

 

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SEVENTEENに関して、今年は、肉体で応援したと言える。部屋から出て人と会い、さまざまな場所に行き、zineを作り、傷つき、よろこび、信念をいかに実践していくか、そんなことをした。閉じこもっていてもそれなりに楽しかったけど、そのままでは決して得られることのないよろこびに溢れた。ありがたいばかりでした。

 

生活に関しては、怒涛の毎日だった。気づいたら今日という日になっていて戸惑いしかない。少しは成長できただろうか?うん、できたと思う。自分でも自分を認めてあげられるくらい、今年はよく頑張った。

ジュンさんが去年か年明け1月くらいに、「コンフォートゾーンから抜け出して、あらゆることを挑戦してゆくことが重要」というふうに語っていた。社会人になって、やりたくないことばかりで、でも逃げるのは嫌で、少しずつ前に進み出した。そんなこともあって、ジュンさんが言う「挑戦」を、少し理解することができた。と言っても基本部分のことばかりで、劇的に何か成果を得たわけでもないけれど。

 

苦しいも嬉しいも半分ずつ、むしろ前者の方が多かったけど、来年は今年を糧にもっともっとよい日をすごしてゆきたい。でもこんなふうに望みを語っているけれど、今年よりよい一年になる予感しかないです。もっと未来に向けて生きていけるようなそんな一年にしたい。

もっと上手くやる、もっと楽になる、肩の力を抜いて、どうにかこうにか、生きていく。

主人公になれない私へ

※備忘録に書き残しています。主題はお見送り会での出来事と、それを機にした決心です。読まれることを想定していません。

 

いい人間になりたい。

人生のテーマであり、かつ一生の問い。

いい人間になることが一つの夢で、いい人間とはどんな人間だろう?と常々考える。

ことあるごとにここに帰ってくる。

けれども同時に、いい人間になったところで何になるんだろう?と疑う自分もいる。いい人間になれていない己に嫌悪する日もある。

 

話は変わって、今年はありがたいことにたくさんSEVENTEENのイベントに参加できた一年だった。

5月はファンミーティングLOVEの東京公演から始まり、9月はFollow東京公演、12月は毎週末Followがあって名古屋大阪福岡の3都市に行った。加えてその期間サウンドチェック(大阪12/9)と神戸のお見送り会にも参加することができた。去年と比べると「肉体で応援」したと言える。

 

LOVEの時、ジュンさんとの距離が最接近した。トロッコが目の前に来た。あれをファンサービスと呼んでいいのかわからない。ただこちら側に微笑みかけて、グッドサインをしていたことは覚えている。私の右手はハートの片割れをしていた。私はなるだけネイティブに近い発音で彼の名を叫んでいた、無我夢中で。

まさか当選するとは思っていなかったサウンドチェック。「ファンサービスをもらうこと」がほぼ目的なこのイベントで、背の低い私は埋もれに埋もれていた。翌々日にあるお見送り会も当選しているのだからここくらいで運の調整がないとそろそろ死んでしまうと思っていたので、空気を味わうくらいの温度感で入場した。のに、彼のネームボードを持って、目は必死に彼を追いかけていた。ステージはアリーナの座席よりずっと高く、そのもっと高い場所から指す照明はとても強かった。眩しくてジュンさんの姿がまっしろく光っていた。ああ、見たかった光景だ、と思った。基本的に満遍なくお手振りをする中で、ジュンペンを見つけるとわかりやすく反応し、要望にもなるべく答えようとしているところを何度も見た。そんなところが好き。でも、ここにもいるよ!って言いたかった。ファンサービスはもらえなかった。

その数時間後にまた京セラドームの中にいた。LOVEの時より近い席。こんなところ、ファンサービスをもらえない方がおかしい、と言うような。トロッコが近づいてくる。どのメンバーも近い。私はまた無我夢中で名前を叫んでいた、いやむしろもっと上位互換の概念で叫び続けていた。けれども周りの人たちがファンサをもらって泣いたり崩れたりしている一方で、私は彼の視界にすら入っていなかった、こちらを向いてはいたものの。気づけばどんどん遠くなる背中にぼろぼろと泣いていた。その時、その時に、私はジュンペンとしてどうなりたいんだろう?と我に返り、少しの間呆然とした。喉の痛みが何かことの重大さを物語っている気がした。帰りの電車は鬱々としていた。

 

LOVEでの出来事を友人に話す時、必ず「おかしくなるところだった」と付言していた。興奮で正気を失う、というより、距離感を間違え、道を踏み外しそうで怖いという気持ちからだった。

私はその日からすでにおかしくなってしまっていた。自立心より先に欲望が立ち歩く、そんな人間になっていた。こんなのはいい人間に程遠い。

 

私はかわいいネームボードやうちわを作れない。ファンアートも描けないし物事をわかりやすく伝える文章力もない。フォロワーが多いわけでも訴求力があるタイプでもない。私は主人公になれない。だからファンサービスをもらえないのは当然だった。相応の努力をしていないから。

 

オフラインイベントのほとんどに興味がなかった。私を視界に入れないでほしい、と以前の私は声高に言っていた。モブでいたかった。その輝きを物陰からそっと見つめていれたらそれで十分だった。だったはずなのに。

アルバムを購入するたびについてくる申し訳なさそうなシリアルコード。せっかくだからと申し訳なく画面に打ち込む。

お見送り会は99%の投げやりと1%の希望(またの名を欲と言う)で申し込んだ。けれども、あなたを応援するファンがここにいるよ、と目の前を通るだけで伝わるのは私にとって本望でもあった。日本の片隅で君の人生を見つめる人間がいることを知ってくれたら。見つめられなかった期間の方が長いけれど、でもあなたの途方ない間流れた汗を少しは見ていたし、想像もしている。

ジュンさんは去年からたびたび「僕のことを好きな人は僕が何をしても好きだろうし」「CARATがすることなら何でも好きなジュンです」「僕がなにをやっても皆さんは拍手をくれますし」というように話す。Psychoのリリースを経て、ジュンさんが表現するものは何でも好きだと、「好き」がある意味「信頼」に変わった。勝手に寄せるそれは時に愚かであるけれど、ジュンさんが好きな私は、ジュンさんが何をやっても好きで、そう言える自信がある。

独家童话の公開に際して生配信中ファンに申し訳なさそうにしていた彼の姿、そして大阪公演終演直後に見たアンチアカウント。伝えなきゃ、ただあなたを好きな人間が1人でも多く存在することがきっと何かのきっかけになるから、「好きだ」と言わせてほしい。

 

お見送り会当日。行きの電車は心拍数がおかしくなりそうで、もう行きたくないとすら思った。怖かった。

会場に着き、手続きを経て、やっと列に並ぶ。隣の方が話しかけてくれたが、正直それどころではなかった。

合図があってみんな一斉にブースに入り出す。出てくる人たちも見えた。みんな声をあげたり、笑ったり、泣いたりしていた。

自分の番が来た。伝えたい言葉も前日までに決めていた。軽く押されて入るとジュンさんがいた。本当にきれいで言葉がなかった。無意識に左手を振っていた。その手のひらには伝えたい言葉をマッキーで書いていた。そしたらジュンさんはそれに気づいて、じっと読んでくれていた。その後の記憶は朧げだけれど、ハッと何も言ってないことに気づいて振り絞って「我爱你!」と言った。伝えたいことの3分の1も言えていない。とても必死な顔だったと思う。その後すぐ剥がされ進行方向を向いたばかりにジュンさんの顔は見れなかった。退場際に、名札を見てくれたのだろう、私の名前を、いつもの低くてまるっこい声で呼んでくれた。

 

優しくて、うれしくて涙が止まらなくなった。

いつも見ていたジュンさんの優しさがそこにあったこと、こんな私にも大切にしてくれたこと、きちんと伝わったかわからないけれど、1%でも伝わった気がしていること、ジュンさんは嫌なことを何一つしないこと。

ブースを出る前も出た後もジュンさんが好きなこと。

 

ジュンさんが与えてくれる幸せに見合う人間になりたいと思うようになった。やさしい人間になりたいと思った。

思えば今年の春頃の苦しみは、優しくなれないことだった。ジュンさんのように、平等に人々を愛することができなくて、自分の小ささに苦しかった。

今の私には全ての人に優しくなることは難しいけれど、ハグができる範囲の人たちには、真正面から向き合って、時々荷物を持って、共感して、想像して、ただただ私でありたい。そしてジュンさん、SEVENTEENに、やさしい眼差しでいようと誓った。ジュンペンとして、やさしい人間でありたい。

 

また次のお見送り会があったら、申し込むか申し込まないか、今はまだ決めれそうにない。

ただ次に会う時まで、私はいい人間に近づくために、生活のあらゆることに向き合い続ける。やさしい人間で、あなたたちと会う。

主人公にはなれないけれど、ただ1人の人間として、今日も明日も生きて、ただ。

 

俊尼,你做什么,我爱你

世界に君は一人だけ ~独家童话感想メモ書き~

727日、ついに約2年の時を経て独家童话の配信が始まった。ワクワクドキドキするばかりかついにジュンさんの主演ドラマが始まることに感極まり、仕事中涙ぐむ顛末だった。…にもかかわらず、結局1ヶ月経ってもPCから遠退く生活で中々再生ボタンまで辿り着くことができないでいた(主に原因は疲労

ドームツアー皮切りが約1週間後に控えた8月末、いちジュンペンとしてこのままの状態で会うのはまずい!(自分の心持ちとして)と急に焦り出し、様々なタスクを後回しにしてようやく観始めることができ、公演に入る当日深夜2時に最終話を観終わった。

 

さて、Twitterで感想を話すタイミングを失ってしまったので折角だしまとまらないままのメモをここに書き残すことにします。ネタバレが含まれます。

 

 

・多くの人が言うように、独家童话は単なる恋愛ドラマではなく、人生の話で、もっと大きいくくりの、「人間ドラマ」だった。赤ちゃんの頃から一緒の2人が学校生活を経て仕事に邁進しながら結ばれる。その過程があまりに愛おしくて、最終回はよかったねよかったね、と他人事と思えない喜びに溢れた。

 

・1人の人間の成長を見ている、そう思うと、凌超に対して「ジュンさんの顔をした凌超という1人の人間」だと感じて。いつもの弾けんばかりの笑顔も、そわそわした落ち着かない動作も、恥ずかしそうな照れ笑いもなくて、コンピュータとゲームとうさぎちゃんが好きな1人の人間を目撃していた。瞳の奥は真っ黒で、口はちょっとしか開かなくて、めったに笑わない。でも最終話の、家族写真を撮るときににこりと微笑む顔はいつもの見慣れたジュンさんの顔だった。2人の人生が同時に立ち現れて涙が止まらくなった。

完走当日、東京ドームでジュンさんを見た時に、その身体に宿る文俊辉という魂はたったひとつのかけがえのないものなんだという、至極当然で、でも忘れてしまいがちなことを思った。今回文俊辉という俳優が1人の凌超という人生を生きたこと、でも俳優のその人生はジュンさんそのものであること。ジュンさんがジュンさん自身の人生をなんの後ろめたさも感じていなければいい、誇り咲いていてほしい永遠に、と願った。

 

・言わばサイボーグのような凌超だけれど、話数が進むにつれ感情の機微が少しずつ見えてくる。そして基本的にうさぎちゃん目線で話は進むのだけれど、凌超自身の成長や変化の部分は言葉数少なくても伝わってくる。と思うと本当にジュンさんの表現力すばらしいなと思った。社会人凌超がうさぎちゃんを前に涙をぽろっと流すシーンはジュンさんの顔だけど見たことない顔だった。もうずっと見ているはずなのに、まだまだ知らない顔があること、そしてそれを芝居の上で見ていることになんとも言えない感慨深さがあった。やっぱりもっと演技のお仕事が見たいな。

 

・てか急にオタク的な観点の話するけど凌超の感情を表には出さないけど内側でフツフツと燃えたぎってるキャラクター造形、大好き。日本語吹き替えのCVは内山昂輝さんでよろしくお願いします(!?)。

 

・うさぎちゃん、ずっとそばにいる人を救っていく子で、まさしくヒーローだった。かっこよかった。意思の強さ、運命を切り開く力に溢れていた。

 

・インジーハンはやっぱり憎めないキャラクターで、凌超と対照的で人間味に溢れていて(というか初期の凌超を覗いてみんなとても人間的なんだけど)親近感しかなかった。めっちゃお金持ちだけど。

インジーハンがうさぎちゃんに惚れるきっかけが対等性だと思っていて、ここでもうさぎちゃんの裏表ないまっすぐな性格に憧れるな〜。

 

・嫌なキャラクターがほとんどいなくて(大抵嫌な奴は作中フェードアウトする、勧善懲悪っぽいところあったな)、主人公たちを見守る大人たちが良い人ばかりなのすごくよかった。私は大人がしっかりしてる作品が好きなので

ジュンペンのファンファンちゃんと地理得意くん(名前スーウェンくんかな)のカップル、とても等身大だし、お互いを尊重する構えがよかった。

そしてリンロンちゃんの凌超への本当の想いをこぼすシーンにぐっと来た。そうやって内省を重ねて辿り着ける意志がかっこいいし尊い

 

・思春期から社会人までを描く作品だけあって、夢やその時期特有の悩みにフォーカスされた回も多くて。幸せな恋愛!というよりそういう10代の泥臭さがコミカル調に描かれていて、面白さと同時に「あるある!わかる!」と思いながら観た。私はもう思春期はとっくに過ぎたので、どこかあたたかい眼差しで見守るような気持ちだった。

 

・一番好きな場面は12話のワンカメシーン。元々こういう演出が好きなのもあるのだけれど空間的にも時間的にも奥行きを感じてとてもよかった。

あとマンションで2人ゆらゆら踊るところ。美しかった。

時々木漏れ日とかなんてことない瞬間を挟むところがすごくドラマチックで、私はこういう作品が好き…。

 

 

・正直、恋愛ドラマを楽しめるのかという不安も大きかったし、去年は今では信じられないがかなりドギマギしていた。でもWeiboで更新されるショート動画などを見たりしているうちに、ここに映っている人はジュンさんのかたちをした凌超という人間だ、と思えてきて、実際ジュンさんもそういう発言をしている。

なんせ首を長くして待った主演作。ジュンさん本人も待望していたと見えて、私は何よりそれが嬉しかった。ジュンさんすごいよかっこよかったよ、主演おめでとうお疲れ様。

身構えた時間もあったし、視聴中少々のしんどさもあったけれど、登場人物全員の人生をまざまざと見ているうちに「恋愛」の枠で語る理由もないなと感じた。テーマとしては男女2人のそれなのだけれど、うんうん素敵だね、末永く幸せになってねと、長い付き合いの友人のような気持ちだった。

1話から24話まで、ひたすら穏やかであたたかい作品だった。携わったすべての人たちに感謝と敬服を。

もがく 模索 他

 

もがく

 

 苦しさの根本を解決しないまま次の感情を上書きすることでなあなあにするからまたすぐ苦しくなる。

 

 社会人生活もいよいよ5ヶ月目を迎える。毎朝6時半に起床し8時間の労働をする生活を繰り返しているとうっすらと「檻」のようなものを感じて、「ああ不自由だ。はやくここから出してほしい。」と泣き叫びそうになる。大学生活はあまりに自由だった。時間が有り余るから、起きている間はコンテンツを観て、なんでもない時間は常にSEVENTEENや好きなことを考えて、やりたくないことはなるべく回避して。

 

 私はこの社会を生きるには、苦手なこと、無理なことが多すぎる。人はこんな私のことを社会不適合者と言うのだろう。毎日何かしらヤダな、楽しくないな、やりたくないなと思いながら生きている。

 そうしているうちに、ただやりこなそうという気持ちが強くなって、結果的に「何も感じないようにしておこう」と、無意識の意識が働いている。防衛本能だろうか。

 

 心が死ぬ。死んでいる。何も感じない。何を見ても聞いても感動しない。

 

 私は幼少期から感受性が豊かだと周りの大人から言われてきた。良いことなのだろうか。そのおかげかそのせいか、他者の感情が自然と流れ込んでくる。あの人は今疲れてるんだろうなとか、私の話に興味ないんだろうなとか、ちょっとはぐらかそうとしているなとか。一緒にいる人の楽しい気持ちも悲しい気持ちもなんとなく伝わってきてそれに応じて自分の気持ちも連動する。あなたが楽しいと私も楽しくなるよ、と高校の時友だちに言ったっけ。

 そうしていると自分の感情がわからなくなる。私の感じているこの「好き」は誰かの「好き」?私の見ている「推し」は誰かの「推し」?

 こういう感覚が「自他境界」という言葉に集約されると気づいてから、自分の感情を大切にしようと、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の肌で感じようと、ここ一年は頑張っていた。でも時々難しかった。

 

 社会人”として職場でほとんどのエネルギーを使い、家に帰ると寝ることしかできなくなる日々が続く。

 好きな人たちを自分の目で見ることができなくなる。

 それに加わり「何も感じない」から、好きの気持ちが遠のいてしまう。手繰り寄せようとしても疲弊しているから難しい。

 

 そんなこんなで、4月から情緒を安定させることが難しくなっていて、予定が立て込んでいたFollowコンの前後は特に酷くなっていた。

 何も感じられなくて、ジュンさんのことが好きじゃなくなったのかもしれないと不安になる日々も続いた。嫌いになった瞬間なんて1秒もないのに。

 

 

模索

 

 「好きじゃなくなる」ことを何よりも恐れているし、それに抗っている自覚もある。醜い姿だけれど私はここから絶対に離れないぞと、しがみついている。

 

あなたへの向き合い方が変わってきた

変わってきた自覚はあれど、定まってはいない

ただもう言葉にならない感情で泣く時期は過ぎ去っていった、哀しいけれど

 

 Followのジュンさんに、どことなく「覚悟」を感じた。これは私だけの感覚かもしれないけれど。

 Be The Sunソウルコンのジュンさんは、とにかく「楽しそう」だった。弾け飛びそうに踊っていた。こんなにステージを楽しめる人だったのかと、舞い戻り直後の私は混乱した。(かつては「楽しそう」というか、「使命」とか「執着」に感じた。個人的な話です。)

 

 もちろんスタイリングの問題があるかもしれないけれど、去年は自己肯定、自己満足から生まれるきらめきだろうか、そういうものに包まれていた。

 Followはと言うと、というかLoveの頃から、今までの血、汗、涙を汲みながら、ここ数年、特に『LIMBO』をリリースした去年身につけた「自信」を武器に、もうただひたすらその身で踊り歌っている、ように見えた。それはある種の「覚悟」だった。自分はこうやって表現する、こうやって舞台に立つ、こうやってアイドルをする。そんな気概を感じた。眼差しが強かった。

 

 Good to Meでいじられるジュンさんはもうここにいない。でもアッキンダで目を細めたキュートな表情をするジュンさんはいる。でもその瞳の奥にあの頃のジュンさんはいない。

私が守らなきゃと立ち上がらずにいられなかったあの頃のジュンはもうここにいない。それはとても良いことで、寂しい。

 

 

何者

 

私ってあなたの何なんだろう

あなたって私の何なんだろう

 

私ってあなたの何

ただの一ファンであることは一目瞭然

でもLOVEであなたが目の前を通った時、その肌に触れてみたいと思った

ただ髪についたゴミを払うだけでいいのに

苦しくて1人で泣いている時、私の話を聞いてほしいと思った

慰めも相槌もいらないから

ファンとアイドルの関係性から抜け出せないかなってちょっと考えた

 

あなたって私の何

アイドル?エンパワメント的存在?光?人生?ただの他人?

こんなに好きなのにあなたを見て暗やむ自分がいる

わからなくなってまた泣いてしまう夜

 

 

目に見えるもの、見えないもの

 

推しを見続けているうちに、脳内に私だけの推しが生まれる

実像ではないからこれは虚像と言って良いだろう

日に日に虚像が肥大化する

日に日に虚像を信仰するようになる

 

こうしたプロセスは何ら珍しいことではなく、アイドルオタクなら多くの人がこのような応援をオタクとしていわば生業としているのではないだろうか、もはや業だと思う

 

私は業を重ね過ぎた

 

何がほんとうで、うそで、うそじゃなくて、ほんとうじゃないか、わからなくなってきた

 

ただ今は目の前のあなたを見つめていたい

 

 

ショートケーキにニコニコするみたいに

 

君に体重を預けすぎた。脳内の君が肥大化しすぎた。君に託しすぎた。

そんな推し方をすると、君が私だけのものに感じて気持ちよかったね。

代わりにとても痛かった。なんで私は君じゃないんだろう。君と比べて私は。君はみんなのもの。君は本当にみんなから愛されるひと。愛されるべきひと。

 

愛は勝ち負けじゃない。優劣じゃない、数値化できない。

 

君はいつも「幸せでいて」と言う

君はいつも「楽しくいて」と言う

 

最近全然幸せも楽しさも感じられていなかったな

 

君を好きでいることには時に苦痛が伴う。

日々を生きるには闘わなければいけない。

傷つくことはとても怖いけれど、傷つかないと「好き」も感じられなくなる。

 

頭の中の君に縋りすぎない。きちんと目の前の君に目を向ける。でも時々頼らせてほしい。

 

私も君も変わってゆく。人はそういうものだ。

だから都度立ち止まって考えて決心して前に進む。

赤子の頬を撫でるようにどうしても過去が愛おしくて、決して手放したくないと意固地になる。

でもきっとこれから目にすること感じていくことだってかけがえのないものになるだろう。そうあってほしい。

 

いつだって君は私の宝物。

君の前では幸せでいたい。君の前では楽しくいたい。今までそうさせてくれたように、これからも。疑いなく。

 

目の前のショートケーキにニコニコするみたいに君の前ではそうありたい。

 

君は光

ジュンさん、27歳のお誕生日おめでとうございます。

ずっとずっと大好きです。

 

 

もうこの二言で終わりにしてしまいたい。

あなたに伝えうる気持ちが具体化しない。

私が丸くて大きなものになれたら伝わるかな。

 

異国の片隅の、人がいない田舎でこんな文章を書き連ねたって何の意味があるんだ。ただ承認欲求が満たされるだけじゃないか。あなたに伝わらないと意味がないのに。

でも言葉は祈りだ。私の言葉があなたを心から応援している人間がいる、いた、という証になればいい。そう信じて書いている。お誕生日なのに私の葛藤ばかりだな。

 

どうして好きかを考えたかった。あなたからどれだけ救われてきたか書きたかった。

でもただひたすらに好きです。好きなんです。理由もなく、定量化もできない。

無数の「好き」がただあるだけ

 

じゃあせっかくだしそれら一つ一つ拾い上げてみようか。

 

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まず、マイペースなところが好きだ。流されずに自分のやるべきことをやるところ、輪から外れても興味関心を追い求めるところ、「自分」をしっかり持っているところ。何より「ありのまま」を生きようとするところに惹かれる。

 

掴みどころがない内面の複雑さが好きだ。簡単に言えば「わからない」ところ。趣味趣向が掴めないところも、感性↔︎論理の二面性を備えたところなどもそう。

「他者のことは決してわからない」ことを眼差す人が体現してくれるから、ジュンさんがお守りのような存在になっていく。

 

優しいところが好きだ。〇〇なメンバーは?という質問にいつも自分や全員と回答する。「選ばない」を選ぶ分け隔てない優しさにあたたかい気持ちになる。また、ゴセep52(Know Thyself#2)で、他人に深い部分まで共感することは難しいと診断されたことも印象深い。でもジュンさんは冷徹な人じゃないことは目に見えて明白だ。むしろ寄り添いの人であるのはCARAT内でも共通認識ではないだろうか。自他境界が明確だからこそ、他者に手を差し伸べられる優しさを感じる。健やかな優しさだと思う。

 

変わり続けられるところが好きだ。2022年は変化の年だったと言い、「CARATに新しい姿をお見せしたい」と力強く語っていた。人間は絶えず流動をする生き物だと私は考えているけれど、ジュンさんを見ているとその信条がより強いものになる。

LIMBO 期の画報で、歌手であれ俳優であれ、肩書きが変わる中で、ずっと変わらないものは、文俊辉の新しい領域や新しい変化を試みてようとする心情だと評されたことも印象に残っている。チャレンジ精神や好奇心の強さが、ジュンさんのアイドルとしての強みだと感じる。

 

目をまっすぐ見て言葉を伝えるところが好きだ。「目をまっすぐ見て」というのは比喩でもあり、事実でもある。CARATに伝える言葉は、いつもジュンさんの心の底から湧き上がるものだなと感じる。それはブレない芯を持つためでもあるし、本人が得てきた経験による証左でもある。だから混じり気がなく、強い。

 

 

最後に、真面目で一生懸命なところが好きだ。大体のゲームでも力を抜かない。ケレンでの似合わない曲披露時に、ギリギリまで振りを確認し続けていた姿や、ペンミで地道にハートをゲットして最終的に優勝を掴み取った姿が記憶に新しい。3月に公開されたカバー曲『僕が死のうと思ったのは』の「生きることに真面目すぎるから」という歌詞をジュンさんの声で聴いた時、すっと胸に染み入る感覚があった。ジュンさんを見ていると、私も真面目に生きてていいんだと思わせてくれる。

 

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今拾い上げたものはほんのちょっと。月並みな表現だけれど、生きているだけで好きだから、際限がない。

 

感覚を言葉にするなら、私の心には粒のような無数の「好き」がある。

それらが集まって束になるのだ。決して折れない束に。

この束を抱きしめて、あるいは背負って、私は旅を続ける。この人生を、あなたへの気持ちに名前を見つける時間の旅を。

 

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ジュンさん、あなたは私の一生の光。

あたたかくて美しい。

眩しくて直視できない。

掴もうにも指の隙間から溢れてゆく。

でも私の心を灯し続けるから、私も眼差しを続ける。

 

ただ幸あれ。健やかに笑っていてください。

あなたが感じるもの、考えること、すべてがあなたのものでありますように。

いつでも味方です。ここに連ねた言葉がその証になりますように。

お誕生日おめでとうございます。ずっとずっと大好きです。

赤裸々、共に歩むこと、祝・8周年

SEVENTEENが世界を教えてくれた」

 

仰々しいですがこれは多分本当です。

「多分」と含みのある言い方をするのは、過去というものは現在の私が語ることによって作り上げられるもので、客観的事実と異なる可能性があるからです。でも、SEVENTEENが世界を教えてくれたことは本当です。

 

昔話を始めます。

SEVENTEEN1回目に出会った時の私は高校生でした(1年生か2年生かのどちらか)。

 

出会いの以前の私はと言うと、視野の狭い、ひどく排他的で、とても愚かな子どもでした。

具体的に文字にすることも憚れるほどで、自己嫌悪に陥るので詳細は省きますが、端的に表現するならナショナリズムを履き違え、他者を憎しみ、攻撃する幼稚な「レイシスト」。

韓国の文化を好きになるなんて、当時の私からするととても信じられないことでした。

そんな愚かな人間だったんです。

 

こんな私に世界を教えたのは、言うまでもなくSEVENTEENです。

SEVENTEENと出会って、自分の考えてきたこと、見えていたものが一転しました。文字通り180°変わったような。

 

国籍も、人種も、言語も関係なく、我々は人と人なのだ、わかりあえるのだ

そう信じられるようになりました。

 

それまで思い込んでいた偏見や根拠のない憎悪は、次第に溶けてゆくとともに、猛烈に己を恥じるようになり、「償い」と言うとエゴイズムの押し付けな感じがありますが、とにかく学びをし続けようと、反省し始めました。

自らの加害性や差別感情に向き合えるようになったのは、この経験があったからだと思います。

 

ちょうど進路選択の時期。「夢」なんてそのうち見つかる、と思って、見つけることを先延ばしにしていました。

でも、ぼんやりとながらも、世界が一転したことをきっかけにダイバーシティ」「異文化理解」が進路選択のキーワードになり、そんなこんなで広い視座で文化と触れあえるのでは、と考えて文学部に進学を決めました。そうそう、第二言語は中国語一択だったのも、ジュンさんから中国語の美しさを知ったからです。(TMIですが先日中検4級取りましたやったー。3級は落ちました。)

そして、大学での学びを進める中で、ぼんやりとしていた「異文化理解」が明確なかたちを得て、「夢」だと呼べるものを見つけられました。

見つけてからは、多様なバックグラウンドを持つ韓国中国台湾タイアメリetc…出身の人たちと交流したりするなど、たくさんのご縁に恵まれ、その中で今でも仲良くしてくれている人もいます。

後悔の多い人生ですが、この一連については自分の中で誇りにおもえるほどかけがえのない出来事です。

今も出来た人間ではないですが、「なんとか良い人間になろう、あの頃よりも」と努めるようにしています。

自らの加害性・暴力性に気づけたことはとても大きなことだし、過ちを戒めにして、「他者なるものに寄り添えないか」ということが今の行動原理にもなっています。憎しみからは何も生まれないですね。

そう考えると本当にSEVENTEENには感謝が止まらなくて。

広い世界を教えてくれてありがとう。

私の人生と出会ってくれてありがとう。

強く強くそう思います。変な遍歴を辿っているけれど、感謝の言葉だけは胸を張って声高に言いたいです。

 

最後になりましたが、SEVENTEENデビュー8周年おめでとうございます。

SEVENTEENと時間を共にできている幸せをただ、噛み締めています。

簡単に書くつもりが少々冗長になってしまいました。ここまでお読みいただきありがとうございます。SEVENTEENの積み重ねを思うと、どうしても自分の人生を振り返ってしまいますね。SEVENTEENは人生だ。

私は日の出を待っていたのかもしれない

本当は2022年の総括を書きたかったのですが、何をまとめたらいいのかわからなくなり、結局書き遅れたBe The Sun感想文になりました。この1年はBe The Sunなしに語れないので問題なしです。

なんせ記憶がほとんどないので、レポなど何一つなく、単にこの1年の心の動きをまとめただけの自語り文です…。

 

Be The Sunを振り返る

今年の6月は暑かった。心身ともに泥のようになっていた。

そんな中、幕を開けたBe The Sunソウル公演。PCの前で見届けた。すばらしかった。

1人で頭を抱えたり声を出して笑ったり小さく悲鳴上げたりした。

見終わった後は、余韻で体が浮くようだった。SEVENTEENを好きな気持ちがますます膨れ上がった。心が燃え上がっているのを感じた。

 

8月、北米ツアーが始まる。

空調の効いた映画館で、ヒューストン公演を見届けた。外はうだるように暑かった。

地元の映画館で観てもよかったはずなのに、知り合いと遭遇するのが嫌で、わざわざ難波まで繰り出した。開場前はとにかく緊張していた。なぜかはわからない。そのせいでスクリーンを間違えた。一番乗りくらいだったので、私の背を道しるべについて来ていたお姉さんと目が合って一緒に笑った。「緊張してるんですよね~…」「わかります~!」と会話した。上手く話せてよかった。

公演中はずっと静かに涙を流していた。なぜかはわからない。終演後はぼーっとした視界と浮ついた心で、天国にいるみたいだった。

 

10月、アジアツアーが始まる。

友人になんとかステージを見てほしくて、チケットを応募しては毎週のように来る当落発表メールに精神を削られた。でも、もうすぐ会えると思うと胸が高鳴った。

 

11月、日本ドームツアーが幕を開ける。日本語新曲DREAMもリリースされた。

毎週大阪に繰り出してはカフェに赴いたり、スタンプラリーで1か月分の運動をしたりして、しっかり愉快なオタク生活を満喫した。

そして来る東京ドーム公演が行われた11月26日夜、私は夜行バスに飛び乗った。高揚感からか全く眠れなかった。タイヤの真上の席だったからかもしれない。

11月27日は風が強くとも青空の広がる秋晴れだった。

人生で初めての東京ドーム。緊張感と充足感が入り混じってずっとよくわからない気分だった。終演後も最終的によくわからない感情がのこった。

会場に入った。ペンライトの光で満たされた光景は、海そのものだった。でも私のペンライトは途中から光を失い、最後まで光ることがなかった…。*1

幕が上がった。SEVENTEENだ…SEVENTEENなのか?正直言って、全体的に記憶がない。遠隔で観ていた時の方がしっかり覚えている。きっと双眼鏡と肉眼をあっちこっちしたり視点が揺れ動いたりしたからだろう。でも、SEVENTEENの質量を確かに感じたのは確かだ。

しかしながら、先に述べた通り、終演後いきなり現実を直視して感情の行き場がわからなくなってしまった。というのは、やらねばならない卒論のことを思い出したのもあるし、私の辿ってきた妙な経歴のことを実感したのも大きい。私は東京ドームに入って心の底から喜んで良い立場なのだろうか。「たくさん待ってくれてありがとうございます」の対象に私は含まれていない。なんせ、「推す」ことにしんどくなって、一方的にそれを辞めた立場だ。申し訳なさや後悔を日々負い目に感じながらオタクをしていたが、さらに突き付けられた想いがした。

さらに、双眼鏡を覗きながら、「アイドルってとんでもない仕事だな」と唐突に悟る瞬間もあった。*2

きっとこれらはペンライトが光らなかったせいだろう。変に客観的になってしまった、経験不足ゆえに…。このように、東京ドーム公演後はぐるぐるとした気持ちになったことを、素直に告白しておきたい。同時に緊張感から解き放たれ、清々しくもあった。総じて不思議な体験だった。

 

12月、日本列島には寒波が到来しようとしていた。

なるべく厚着をして、名古屋行きのバスに乗り込んだ。気持ちの良い天気だった。

名古屋公演は、ありがたいことに3日は現地で、4日オーラスをライビュで見届けることができた。

今回は念入りにペンライトをチェックしたおかげか無事に光輝くことができた。海になれたことが、ひたすら嬉しかった。後ろから数えた方が早いくらいの天井席だったけれど、だだっ広い会場を見渡せて、より一層光の海に感動した。私は今、この海を成す一部になっている…!?と涙が込み上がった。

名古屋公演についても、1か月も経っていないのに記憶がほぼない。でも、ただ楽しくて幸せだったことは心が覚えている。

ライビュも穏やかな気持ちで迎えられた。全てが終わった後、SEVENTEENを好きでいてよかったな…と一種の救済のような気持ちになった。だってこんなに幸せなのだから。

 

そして今日は12月30日。半年に及ぶBe The Sunワールドツアーは、29日にジャカルタで幕を閉じた。

何を思ったか書くつもりはなかったのに、大掃除そっちのけでいそいそとBe The Sun記録を残そうとしている。

2022年はBe The Sun、もといSEVENTEENと共にあった。

そもそも、今年は個人的に意義深い1年だった。

昨秋から崩れ始めた自分の根幹が、ぼろぼろに跡形もなくなった後、なんとか再構築していくことができた年だった。というのは、就職活動を経たからだ。

就活の自己分析をしているうちに、過去の自分という点と現在の自分という点の2点を上手く繋げられないことに気づいた。今生きている私は何からできているの?と苦しくて叫び出したくなる日が続いた。就活を終えてもそれは収まらなかった。

でも、現在の私が再びSEVENTEENと出会った、かつて10代の私が出会ったSEVENTEENと。その事実が少なくとも点を結ぶ力添えをしてくれたと思う。

このように、落ち込んだり何も考えずハッピーマインドになったり、揺らぎのある人生を送っている。でもポジティブなこともネガティブなことも全部自分のものだから大切にしたいし、SEVENTEENはそのどちらも受け入れてくれていると思う。ありがとう。*3

 

”Be The Sun”を冠して行われたワールドツアーはそんな私の毎日を救ってくれた。

太陽になったSEVENTEEN、私の暗闇にぱっと差し込む光、

2022年のSEVENTEENは、まさに夜明けを告げる日の出だった。

 

 

*1:気持ちが焦ってペアリング後にボタンをボチボチ押してしまい、その流れで長押ししてしまったためかと思います。みんな、初期化に気をつけよう…

*2:これについては別件で書きたいと思っています

*3:自分のオタク経歴だけでなく、アイドル応援にも後ろめたさを感じる日々だけれど、毎日毎日、ひたすらに「ありがとう」という気持ちで満たされている。