月見て君想う

溢れ出る言葉をすくうところ

主人公になれない私へ

※備忘録に書き残しています。主題はお見送り会での出来事と、それを機にした決心です。読まれることを想定していません。

 

いい人間になりたい。

人生のテーマであり、かつ一生の問い。

いい人間になることが一つの夢で、いい人間とはどんな人間だろう?と常々考える。

ことあるごとにここに帰ってくる。

けれども同時に、いい人間になったところで何になるんだろう?と疑う自分もいる。いい人間になれていない己に嫌悪する日もある。

 

話は変わって、今年はありがたいことにたくさんSEVENTEENのイベントに参加できた一年だった。

5月はファンミーティングLOVEの東京公演から始まり、9月はFollow東京公演、12月は毎週末Followがあって名古屋大阪福岡の3都市に行った。加えてその期間サウンドチェック(大阪12/9)と神戸のお見送り会にも参加することができた。去年と比べると「肉体で応援」したと言える。

 

LOVEの時、ジュンさんとの距離が最接近した。トロッコが目の前に来た。あれをファンサービスと呼んでいいのかわからない。ただこちら側に微笑みかけて、グッドサインをしていたことは覚えている。私の右手はハートの片割れをしていた。私はなるだけネイティブに近い発音で彼の名を叫んでいた、無我夢中で。

まさか当選するとは思っていなかったサウンドチェック。「ファンサービスをもらうこと」がほぼ目的なこのイベントで、背の低い私は埋もれに埋もれていた。翌々日にあるお見送り会も当選しているのだからここくらいで運の調整がないとそろそろ死んでしまうと思っていたので、空気を味わうくらいの温度感で入場した。のに、彼のネームボードを持って、目は必死に彼を追いかけていた。ステージはアリーナの座席よりずっと高く、そのもっと高い場所から指す照明はとても強かった。眩しくてジュンさんの姿がまっしろく光っていた。ああ、見たかった光景だ、と思った。基本的に満遍なくお手振りをする中で、ジュンペンを見つけるとわかりやすく反応し、要望にもなるべく答えようとしているところを何度も見た。そんなところが好き。でも、ここにもいるよ!って言いたかった。ファンサービスはもらえなかった。

その数時間後にまた京セラドームの中にいた。LOVEの時より近い席。こんなところ、ファンサービスをもらえない方がおかしい、と言うような。トロッコが近づいてくる。どのメンバーも近い。私はまた無我夢中で名前を叫んでいた、いやむしろもっと上位互換の概念で叫び続けていた。けれども周りの人たちがファンサをもらって泣いたり崩れたりしている一方で、私は彼の視界にすら入っていなかった、こちらを向いてはいたものの。気づけばどんどん遠くなる背中にぼろぼろと泣いていた。その時、その時に、私はジュンペンとしてどうなりたいんだろう?と我に返り、少しの間呆然とした。喉の痛みが何かことの重大さを物語っている気がした。帰りの電車は鬱々としていた。

 

LOVEでの出来事を友人に話す時、必ず「おかしくなるところだった」と付言していた。興奮で正気を失う、というより、距離感を間違え、道を踏み外しそうで怖いという気持ちからだった。

私はその日からすでにおかしくなってしまっていた。自立心より先に欲望が立ち歩く、そんな人間になっていた。こんなのはいい人間に程遠い。

 

私はかわいいネームボードやうちわを作れない。ファンアートも描けないし物事をわかりやすく伝える文章力もない。フォロワーが多いわけでも訴求力があるタイプでもない。私は主人公になれない。だからファンサービスをもらえないのは当然だった。相応の努力をしていないから。

 

オフラインイベントのほとんどに興味がなかった。私を視界に入れないでほしい、と以前の私は声高に言っていた。モブでいたかった。その輝きを物陰からそっと見つめていれたらそれで十分だった。だったはずなのに。

アルバムを購入するたびについてくる申し訳なさそうなシリアルコード。せっかくだからと申し訳なく画面に打ち込む。

お見送り会は99%の投げやりと1%の希望(またの名を欲と言う)で申し込んだ。けれども、あなたを応援するファンがここにいるよ、と目の前を通るだけで伝わるのは私にとって本望でもあった。日本の片隅で君の人生を見つめる人間がいることを知ってくれたら。見つめられなかった期間の方が長いけれど、でもあなたの途方ない間流れた汗を少しは見ていたし、想像もしている。

ジュンさんは去年からたびたび「僕のことを好きな人は僕が何をしても好きだろうし」「CARATがすることなら何でも好きなジュンです」「僕がなにをやっても皆さんは拍手をくれますし」というように話す。Psychoのリリースを経て、ジュンさんが表現するものは何でも好きだと、「好き」がある意味「信頼」に変わった。勝手に寄せるそれは時に愚かであるけれど、ジュンさんが好きな私は、ジュンさんが何をやっても好きで、そう言える自信がある。

独家童话の公開に際して生配信中ファンに申し訳なさそうにしていた彼の姿、そして大阪公演終演直後に見たアンチアカウント。伝えなきゃ、ただあなたを好きな人間が1人でも多く存在することがきっと何かのきっかけになるから、「好きだ」と言わせてほしい。

 

お見送り会当日。行きの電車は心拍数がおかしくなりそうで、もう行きたくないとすら思った。怖かった。

会場に着き、手続きを経て、やっと列に並ぶ。隣の方が話しかけてくれたが、正直それどころではなかった。

合図があってみんな一斉にブースに入り出す。出てくる人たちも見えた。みんな声をあげたり、笑ったり、泣いたりしていた。

自分の番が来た。伝えたい言葉も前日までに決めていた。軽く押されて入るとジュンさんがいた。本当にきれいで言葉がなかった。無意識に左手を振っていた。その手のひらには伝えたい言葉をマッキーで書いていた。そしたらジュンさんはそれに気づいて、じっと読んでくれていた。その後の記憶は朧げだけれど、ハッと何も言ってないことに気づいて振り絞って「我爱你!」と言った。伝えたいことの3分の1も言えていない。とても必死な顔だったと思う。その後すぐ剥がされ進行方向を向いたばかりにジュンさんの顔は見れなかった。退場際に、名札を見てくれたのだろう、私の名前を、いつもの低くてまるっこい声で呼んでくれた。

 

優しくて、うれしくて涙が止まらなくなった。

いつも見ていたジュンさんの優しさがそこにあったこと、こんな私にも大切にしてくれたこと、きちんと伝わったかわからないけれど、1%でも伝わった気がしていること、ジュンさんは嫌なことを何一つしないこと。

ブースを出る前も出た後もジュンさんが好きなこと。

 

ジュンさんが与えてくれる幸せに見合う人間になりたいと思うようになった。やさしい人間になりたいと思った。

思えば今年の春頃の苦しみは、優しくなれないことだった。ジュンさんのように、平等に人々を愛することができなくて、自分の小ささに苦しかった。

今の私には全ての人に優しくなることは難しいけれど、ハグができる範囲の人たちには、真正面から向き合って、時々荷物を持って、共感して、想像して、ただただ私でありたい。そしてジュンさん、SEVENTEENに、やさしい眼差しでいようと誓った。ジュンペンとして、やさしい人間でありたい。

 

また次のお見送り会があったら、申し込むか申し込まないか、今はまだ決めれそうにない。

ただ次に会う時まで、私はいい人間に近づくために、生活のあらゆることに向き合い続ける。やさしい人間で、あなたたちと会う。

主人公にはなれないけれど、ただ1人の人間として、今日も明日も生きて、ただ。

 

俊尼,你做什么,我爱你