月見て君想う

溢れ出る言葉をすくうところ

もがく 模索 他

 

もがく

 

 苦しさの根本を解決しないまま次の感情を上書きすることでなあなあにするからまたすぐ苦しくなる。

 

 社会人生活もいよいよ5ヶ月目を迎える。毎朝6時半に起床し8時間の労働をする生活を繰り返しているとうっすらと「檻」のようなものを感じて、「ああ不自由だ。はやくここから出してほしい。」と泣き叫びそうになる。大学生活はあまりに自由だった。時間が有り余るから、起きている間はコンテンツを観て、なんでもない時間は常にSEVENTEENや好きなことを考えて、やりたくないことはなるべく回避して。

 

 私はこの社会を生きるには、苦手なこと、無理なことが多すぎる。人はこんな私のことを社会不適合者と言うのだろう。毎日何かしらヤダな、楽しくないな、やりたくないなと思いながら生きている。

 そうしているうちに、ただやりこなそうという気持ちが強くなって、結果的に「何も感じないようにしておこう」と、無意識の意識が働いている。防衛本能だろうか。

 

 心が死ぬ。死んでいる。何も感じない。何を見ても聞いても感動しない。

 

 私は幼少期から感受性が豊かだと周りの大人から言われてきた。良いことなのだろうか。そのおかげかそのせいか、他者の感情が自然と流れ込んでくる。あの人は今疲れてるんだろうなとか、私の話に興味ないんだろうなとか、ちょっとはぐらかそうとしているなとか。一緒にいる人の楽しい気持ちも悲しい気持ちもなんとなく伝わってきてそれに応じて自分の気持ちも連動する。あなたが楽しいと私も楽しくなるよ、と高校の時友だちに言ったっけ。

 そうしていると自分の感情がわからなくなる。私の感じているこの「好き」は誰かの「好き」?私の見ている「推し」は誰かの「推し」?

 こういう感覚が「自他境界」という言葉に集約されると気づいてから、自分の感情を大切にしようと、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の肌で感じようと、ここ一年は頑張っていた。でも時々難しかった。

 

 社会人”として職場でほとんどのエネルギーを使い、家に帰ると寝ることしかできなくなる日々が続く。

 好きな人たちを自分の目で見ることができなくなる。

 それに加わり「何も感じない」から、好きの気持ちが遠のいてしまう。手繰り寄せようとしても疲弊しているから難しい。

 

 そんなこんなで、4月から情緒を安定させることが難しくなっていて、予定が立て込んでいたFollowコンの前後は特に酷くなっていた。

 何も感じられなくて、ジュンさんのことが好きじゃなくなったのかもしれないと不安になる日々も続いた。嫌いになった瞬間なんて1秒もないのに。

 

 

模索

 

 「好きじゃなくなる」ことを何よりも恐れているし、それに抗っている自覚もある。醜い姿だけれど私はここから絶対に離れないぞと、しがみついている。

 

あなたへの向き合い方が変わってきた

変わってきた自覚はあれど、定まってはいない

ただもう言葉にならない感情で泣く時期は過ぎ去っていった、哀しいけれど

 

 Followのジュンさんに、どことなく「覚悟」を感じた。これは私だけの感覚かもしれないけれど。

 Be The Sunソウルコンのジュンさんは、とにかく「楽しそう」だった。弾け飛びそうに踊っていた。こんなにステージを楽しめる人だったのかと、舞い戻り直後の私は混乱した。(かつては「楽しそう」というか、「使命」とか「執着」に感じた。個人的な話です。)

 

 もちろんスタイリングの問題があるかもしれないけれど、去年は自己肯定、自己満足から生まれるきらめきだろうか、そういうものに包まれていた。

 Followはと言うと、というかLoveの頃から、今までの血、汗、涙を汲みながら、ここ数年、特に『LIMBO』をリリースした去年身につけた「自信」を武器に、もうただひたすらその身で踊り歌っている、ように見えた。それはある種の「覚悟」だった。自分はこうやって表現する、こうやって舞台に立つ、こうやってアイドルをする。そんな気概を感じた。眼差しが強かった。

 

 Good to Meでいじられるジュンさんはもうここにいない。でもアッキンダで目を細めたキュートな表情をするジュンさんはいる。でもその瞳の奥にあの頃のジュンさんはいない。

私が守らなきゃと立ち上がらずにいられなかったあの頃のジュンはもうここにいない。それはとても良いことで、寂しい。

 

 

何者

 

私ってあなたの何なんだろう

あなたって私の何なんだろう

 

私ってあなたの何

ただの一ファンであることは一目瞭然

でもLOVEであなたが目の前を通った時、その肌に触れてみたいと思った

ただ髪についたゴミを払うだけでいいのに

苦しくて1人で泣いている時、私の話を聞いてほしいと思った

慰めも相槌もいらないから

ファンとアイドルの関係性から抜け出せないかなってちょっと考えた

 

あなたって私の何

アイドル?エンパワメント的存在?光?人生?ただの他人?

こんなに好きなのにあなたを見て暗やむ自分がいる

わからなくなってまた泣いてしまう夜

 

 

目に見えるもの、見えないもの

 

推しを見続けているうちに、脳内に私だけの推しが生まれる

実像ではないからこれは虚像と言って良いだろう

日に日に虚像が肥大化する

日に日に虚像を信仰するようになる

 

こうしたプロセスは何ら珍しいことではなく、アイドルオタクなら多くの人がこのような応援をオタクとしていわば生業としているのではないだろうか、もはや業だと思う

 

私は業を重ね過ぎた

 

何がほんとうで、うそで、うそじゃなくて、ほんとうじゃないか、わからなくなってきた

 

ただ今は目の前のあなたを見つめていたい

 

 

ショートケーキにニコニコするみたいに

 

君に体重を預けすぎた。脳内の君が肥大化しすぎた。君に託しすぎた。

そんな推し方をすると、君が私だけのものに感じて気持ちよかったね。

代わりにとても痛かった。なんで私は君じゃないんだろう。君と比べて私は。君はみんなのもの。君は本当にみんなから愛されるひと。愛されるべきひと。

 

愛は勝ち負けじゃない。優劣じゃない、数値化できない。

 

君はいつも「幸せでいて」と言う

君はいつも「楽しくいて」と言う

 

最近全然幸せも楽しさも感じられていなかったな

 

君を好きでいることには時に苦痛が伴う。

日々を生きるには闘わなければいけない。

傷つくことはとても怖いけれど、傷つかないと「好き」も感じられなくなる。

 

頭の中の君に縋りすぎない。きちんと目の前の君に目を向ける。でも時々頼らせてほしい。

 

私も君も変わってゆく。人はそういうものだ。

だから都度立ち止まって考えて決心して前に進む。

赤子の頬を撫でるようにどうしても過去が愛おしくて、決して手放したくないと意固地になる。

でもきっとこれから目にすること感じていくことだってかけがえのないものになるだろう。そうあってほしい。

 

いつだって君は私の宝物。

君の前では幸せでいたい。君の前では楽しくいたい。今までそうさせてくれたように、これからも。疑いなく。

 

目の前のショートケーキにニコニコするみたいに君の前ではそうありたい。