月見て君想う

溢れ出る言葉をすくうところ

2023年

7月に近所のスーパーが潰れた。歩いて10分もかからない。私が物心つく前にオープンし、20年以上小さな町の暮らしを支え続けた。広くはないけど品揃えに申し分はなかった。田舎の暗い夜、21時まで明かりを灯し続けてくれた。

閉店直後はショックが大きくて数回夢に出てきた。

小学生の頃調味料コーナーを眺めてその味を想像したこと、フルーチェやプリンを作るキットを母に買ってもらって一緒に作ったこと、ドリンクコーナーで母と間違えて別の女性に話しかけてしまったこと、遠足のお菓子を500円以内の決まりを破ることなく買ったこと、スーパーのテーマソングを覚えて家族の前で歌い上げたこと、それを褒められたこと。

 

10月に行った君島大空のライブ。彼はMCでこんなことを言っていた。「もう今はない場所、もういない人に向けて、音楽を作っている」。彼の音楽は祈りだった。寂しさの共鳴。

その言葉を聞いた時、あのスーパーを思い出した。今はもうない場所。

12月には更地になった。すっからかんになったそこを見ると、心の半分以上を埋めるものがごっそり持っていかれた気分になる。

噂では来年ローソンが建つらしい。

また私の過去が揺らぐ。

 

 

去年2022年は、今までかけられていた呪いを少しずつ、ほぼ自分の力で解いて行った先の一年だった。それは解放だった。肩の力が抜けて、本当に大切にしたいことを心のスペースに置いていって、いつでも取り出せるようにした一年だった。部屋にいて、大切なことを大切なままにしておけるように、傷つかない一年だった。自分の弱さや傷と向き合い続けた一年だった。

弱いままでいたかった、弱さを受け入れて歩いていくつもりだった。弱さを克服すると自分が自分じゃなくなる気がしていた。

2023年春、社会人になった。去年心に置いた大切なものたちを落とさないように抱えながら走った。けれども、ぼろぼろと落としていた。落とさないように工夫しようとしても壁にぶち当たり続けて、私という形すら歪みを持ってしまった。もがいて立ち止まって方向転換して。自分に言い聞かせるように何度も「大丈夫、大丈夫」と言った。

来年はもっと楽に生きれるのだろうか。

 

 

---

SEVENTEENに関して、今年は、肉体で応援したと言える。部屋から出て人と会い、さまざまな場所に行き、zineを作り、傷つき、よろこび、信念をいかに実践していくか、そんなことをした。閉じこもっていてもそれなりに楽しかったけど、そのままでは決して得られることのないよろこびに溢れた。ありがたいばかりでした。

 

生活に関しては、怒涛の毎日だった。気づいたら今日という日になっていて戸惑いしかない。少しは成長できただろうか?うん、できたと思う。自分でも自分を認めてあげられるくらい、今年はよく頑張った。

ジュンさんが去年か年明け1月くらいに、「コンフォートゾーンから抜け出して、あらゆることを挑戦してゆくことが重要」というふうに語っていた。社会人になって、やりたくないことばかりで、でも逃げるのは嫌で、少しずつ前に進み出した。そんなこともあって、ジュンさんが言う「挑戦」を、少し理解することができた。と言っても基本部分のことばかりで、劇的に何か成果を得たわけでもないけれど。

 

苦しいも嬉しいも半分ずつ、むしろ前者の方が多かったけど、来年は今年を糧にもっともっとよい日をすごしてゆきたい。でもこんなふうに望みを語っているけれど、今年よりよい一年になる予感しかないです。もっと未来に向けて生きていけるようなそんな一年にしたい。

もっと上手くやる、もっと楽になる、肩の力を抜いて、どうにかこうにか、生きていく。